2013年8月19日月曜日

内蒙古日記その2



内蒙古自治区の省都?区都?呼和浩特には22時頃到着。
荷物をピックアップして外に出ると目の前に火车站(鉄道駅)行きのバス乗り場。
歩き方には新華広場行きのバスしかないみたいなことが書いてあったのでこいつはついてると乗車。10元。
なんだかんだ待たされて、しばらくすると別のバスに乗り換えさせられてやっと出発。

火车站(鉄道駅)に着いたのは23時くらい。
バスを降りるとすぐに宿の客引きが何人も。
とりあえずひとりのおばちゃんについていく。
一緒に歩いてると、客引きがいっぱい。
こりゃあ、このおばちゃんとこがダメでも困らないなと思いながら、おばちゃんにパスポートを見せて「日本人だけど大丈夫?」という意思を伝えると、ちょっととまどいつつも拒否はされない。
通りをはさんだ大きなビルに入ると、旅行者らしき人、客引きの人が何人か。
途中の階に停まると、旅館の看板が見える。
13階で降りると、二つの旅館の看板があって一方に。
なんか香港のチョンキンマンションみたいだわ、とワクワクしてくる。

初めは窓のない部屋に通されるが、別の部屋がいいと伝えると窓のある部屋に。
シャワーはあるけどテレビはない。でもネットにつながるパソコンが。
面白そうだと思い料金を聞くと100元。
部屋のクオリティーを考えると安くはないけど、駅前ならこんなものかなと承諾。

もう0時近かったけど外はにぎやかなので出かけてみる。
客引きはまだいっぱい。
軽装なのに声掛けられる。
まあ、つまりはそういうことの斡旋もしてるんだなと予想。

小腹が減ってたので肉を焼いてる屋台に。
店の人、言葉が通じないボクにあれこれ話しかけてくる。
カタカナ発音で「我是日本人」と散々言ってたら、ついにピンと来たようでテーブルに「日」と書いてボクを見る。
うなずくと、「ほぉ〜」と。
特に敵意みたいな向けるわけでなく、他の人と話しながらボクにもなにか言ってくる。
まあ、ニコニコしながら「好吃」と時々カタカナ発音で言うしかない。


羊や牛の串焼きだけじゃなんだなと、トルコのピデみたいのも一緒に頼んだら、いろんなタレを漬けて串焼きと一緒に焼いてくれた。
旨い。
が、ひとりでは多い。
半分より先はただただ苦痛。

まだまだ呼和浩特の夜は長そうだけど、1時前には部屋に戻る。

つづく

写真は100元の部屋とその部屋の窓から。奥が呼和浩特駅、左の建物はバスターミナル。




内蒙古日記その1


成田空港に着くと、乗るフライトが55分遅れの表示。
そのために混乱しているのかカウンターでの手続きが進まず、それなりの数のカウンターは開いてるもののやたら時間かかる。
元々の出発時間は13時20分なのに、チェックイン出来たのは13時過ぎ。
カウンターのお姉さん「ホ、ホウホット行きでよろしいですか?」チケットには呼和浩特/Hohhot。まあ仕方ないでしょう。
搭乗して飛行機が動き出したのは14時半過ぎ。

大連到着は中国時間で17時頃。
荷物のピックアップ、国内便の搭乗手続きが必要なので全て済んだのが17時半過ぎ。
呼和浩特行きの出発は19時45分。
19時15分くらいには空港に戻っていたい。
夕方の渋滞を考えると空港バスはやめておいたほうがよさそう。
建物を出るとタクシーは見当たらないけど白タクらしきおじさんに声をかけられる。
時間がないのでじっくり交渉も出来ず明らかにぼられた金額で了承。大連駅まで120元。言い値は200元。

空港をでて市街地に入ると渋滞。
10数キロを30分くらいかかって大連駅到着。
目的の路面電車乗り場へ。
アイス買って小銭作って乗車。
どこまで乗るかが問題。
乗車したのが18時20分頃。
路面電車は民家ばかりの地域に入る。
ここで降りるのは得策に思えない。
そこを抜けると少しにぎやかになったので降車。
この時点で18時35分頃。
タクシーを探すが停まってる車はなく、何台も通るが乗客あり。
18時45分くらいになってかなり焦ってきた。
300mくらい向こうの交差点に行った方が良いのかもと思いつつも待ってたら、すぐ先で客を降ろすタクシー降臨。
取られてなるものかと駆け寄り「机場(空港)まで!」。
普通だったら通じないんだろうけど、雰囲気で伝わったらしく乗せてもらえた。
空港方面はさほど混んでなかったので19時10分頃に空港到着。ちゃんとメーター倒してくれて22.5元。


大連駅前から乗った路面電車。

2012年10月2日火曜日

引っ越しなぅ

どこいったのかなーって思ってたアルバムがあったのですが、 引っ越しでガサガサしてたら出てきたのでスキャンしました。
パルミラのホテルで食べたシリア料理。 いつまた現地で食べられる日がくるのでしょうかか。
パルミラ遺跡。 写ってる重機は日本のメーカーKATO製。 現場作業員の方々に、 「日本人か、日本の機械は最高だ。」と言っていただき、彼らの休憩に交ぜてもらってシャイやお菓子を御馳走になりました。 KATOの重機が活躍した成果を見れる日がくるのはいつでしょうか。
アレッポの写真、この一枚しかないという。。。。 全て、2000年4月。