2010年11月10日水曜日

ラダックの話その7〜レー編

2010年10月4日

翌朝は6時に目覚ましを合わせて、その音で起床。
レーに行くバスは7時とのことで、6時40分くらいにホテルを出る。
枕元には50ルピー。
果たして、チップとして適正なのか?
わからない。
アルチの広場

アルチの集落の広場に行く。
バスが一台あった。
早く運転手来ないかなーなんて思ってたら7時過ぎ、一台の別のバスがやって来た。
一緒に待ってたみなさんが乗り込んでいく。
じゃあ、止まってたバスはなんなんだろ?
そんな便数があるとも思えないし。

ほどなくしてバスは出発。
一度、山奥の工事現場に客を拾いにいってからレーに向かう。
アルチの集落の外れを通って、さあ街道に向かおうというときバスは止まった。
運転手と助手、バスを降りて足回りを見始めた。
トラブルか。。。
なんか上手くことが進まないのに慣れてしまったので、さほど動揺はない。
10分経っても改善の兆しがない。
乗客の何人かは、後からきた車(バスではない)に乗っていく。
それも2台通っただけだから、ほんの数人。
ほとんどの人は、バスの外、中で待ってた。
20分くらいして、ぞろぞろと中の人も降り始めたので、ボクも後に続く。
乗客のひとり、ボクに「アナザーバス、カム」と。
いやいやぁ、そんなことないでしょ。ここはインドですぜ。と内心思いながら昼までは動けないな、今日中にレーに着けばいいかと、心の準備をしておく。
バス故障中

その故障したバスは、ブーンと走り去った。
残された十数人。
誰もここを離れる様子はないので、一緒に待つ。
すると、10分くらいでホントにアナザーバスが来た。
アルチの広場に止まってたバス。
ちょっと期待したのは確かなんだけど、ホントに来るとは思わなかった。
このバスの本来の仕事はなんだったんだろう。
そっちにしわ寄せがいったのは確かかと。

休憩無しの約2時間後、レーに到着。
人がいっぱいいる。
5日ぶりの都会。

フレンドシップゲート
バスはバスターミナルを過ぎて、フレンドシップゲートまで行ってくれた。
さて、いつもの宿探し。
とりあえず、前回泊まったフォートロード方面へ。
客引きがいないのは相変わらず。
とりあえず、目に入ったネットカフェ併設っぽいゲストハウスに入ろうとすると、ネットカフェのオヤジさんに止められる。
「何の用だ?」って。
バックパック背負った旅行者にそれはないでしょwww
「部屋はありますか?」
「ついてきて」
部屋を見せてもらう。
悪くない。
「いくら?」
「250ルピー(約500円)」
「1週間泊まるから、200ルピーにして」
「OK」
即決しました。
Irfan Guesthouse 200ルピー

まだ昼前、順調すぎます。
一休みしたあと、近くのカフェでランチして
レモンパンケーキ。
チャイと併せて50ルピー。

レー市内の観光に向かう。
シャンティストゥーパ山門
日本山妙法寺が建てたシャンティストゥーパへ。
藤井日達お上人フォロワーとしてはマスト。
小高い山の上にある。
体は高所に慣れてきているとはいえ、やはり登りはキツい。
途中休みながらなんとか登った。

シャンティストゥーパの前にお寺さんもあった。
別に日本風ではない。
入口に無料であることが大きく書かれている。
著名な僧院はどこも入域料取るのでお得感。
つっても、お布施は置いていくけど。

中に入った。
人がいる。
なんていうんだろう、本堂の仏さんの横のお坊さんがお経読むところ、そこに人が座ってた。
オールスターのパーカー着てる人が。
まあ、くだけたカッコの坊さんだな。
はじめはそう思った。
そしてすぐに気づく。
観光客だ。
仲間とふざけてる。
血の気が引いた。
こんな振る舞いする観光客初めて見た。
向かいにも仲間が座って大声で話してる。
総勢4人。
言葉を聞くと中国語っぽい。
それが北京語か否かはわからないけど中国語。
頭に血が上ってきた。
ホントに。
尖閣の信じられない態度に、いつになく頭にきていたこともあるのだろう、ホントに頭に血が上ってきた。
なにか言ってやろうと本気で思った。
でもここはシャンティストゥーパ。
心の中で「シャンティ、シャンティ(平和)」とつぶやいて、それでもムカムカしたままお堂を出る。
彼らが中国人かは不明。台湾人かもしれないし、どこかの国の華僑、華人かもしれない。
いろいろとタイミングが悪かっただけとも思う。
ただ、本気で腹がたった。そんなシャンティストゥーパでの出来事。


シャンティストゥーパの下にカフェがあったので一休み。
メニューにカシミーリティーってのを発見。
カシミールのお茶ってどんなだろ。それを頼む。
出てきたのは、甘いブラックティーにシナモンの香り。
おお!
ちょっと感動。
アフガニスタンやその周辺では、甘いシナモンの入った緑茶を飲む。
文化的なつながりを感じる。
シャンティストゥーパからレー市街
鉄砲水被害の跡

山を下りてサンカルの集落の方へ。
生々しい洪水の跡が散見される。
サンカルのゴンパは閉まってて入れない。
サンカルゴンパ

数百メートル北に、コリアンテンプルってのが地図にあったので向かってみる。
どこかよくわからない。
ご婦人が通りかかった。
「ジュレー、どこに行くの?」
「コリアンテンプルに行くところです。」
ご婦人、苦笑して「あそこよ」と、ボクが来た道の手前にある建物を指す。
韓国ぽさ皆無。
まあ、祈りの場ですから必ずしも分かりやすさは必要でもないでしょうが。
コリアンテンプル

その後、レー市街方面に向かう。
途中、狭い道で軍用車が通り過ぎるのを待ってた。
こういう場合、たいがいの人は我れ先に隙を見て通り抜けるのであるが、ボクひとりだったし日本的感覚で道を譲った。
通り過ぎるとき、こんなことするのは外国人だとおもったのであろう、シーク教徒の運転手、ボクにサッと手を挙げて謝意を。
チョルテン(仏塔)群跡

ここはチベット圏、
チベット寺院の装飾品としてタンカ(仏画)が美術的価値があるとみられている。
絵画的な扱いもされていて、土産物として新しいものも描かれている。
前にラサで絵師の仕事を見学させてもらって、その緻密さに感動してから本物が欲しかったのです。
当時は、お金に余裕もなかったので買えなかったけど、今回は買えるくらいのお金はある。
ラサで見たお店では6万円くらい。
ここレーだといくらくらいだろうとお店に入ってみた。
3万円ほど。
おー
二枚くらいいっちゃうか?
でも、2万円くらいに出来るかも。
ここは慌てずに店を出る。
別の店に入った。
古いタンカを出された。
げ、これは高そう。
「いくら?」
「2000ルピー(約4000円)」
え?
「ハンドペイント?」
「ノー」
ああ、そうですよね f^ ^;
でも、いい感じに古びた加工されてる。
うーん。これでもいいかもしれない。
考えるために店を出る。

暗くなったので宿に戻ったあと、ネットカフェで日記を書いて、学費のカード決済w


ラダックの話その8

ここらの話

より大きな地図で ラダック2010 を表示

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